カテゴリ:story( 3 )
神さんとわたし

ここで言う神さんとは、田辺聖子さんに言わすと、
キリストさんやお釈迦さんでなく、○○教の教祖さんでもなく。

何となくいてはる『神さん』である。

この神さんのおかげで私もエライ目にあったりもする。

当てにしていたことは外れるし、願い事は叶わへんことも多いし、
と思うと、スコスコ調子よく物事がいくこともあるのである。

この神さんは、良いことと悪いことを順番になんてスイッチを押してくれるわけでもなく、
あっ、押してもうた的に、悪いことの後はまた悪いことなんて押しはる。

もー頼むで神さん。ありがと神さん。
文字通りの神頼みの日々。

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自由気ままな神さんとの付き合い。
いろんなことを神さんのせいにしたろと思う今日この頃。

いらんことがあっても、あー今日は神さんの機嫌がよろしぃないな。
はよご機嫌直しておくれやす。

ええことがあったら、あー。こりゃどういう風の吹き回しや、
ええことボタンの連打、目押しかいな。3連ちゃん。


いろんな日があるし。
あんまり自分をせめたってなんにもならへんし、お肌にもすこぶる悪いので、
いらんことは、目下、神さんのせいにしているのである。

ええことも神さんのおかげおかげ。

神さんも案外わたしのせいで、ゆっくりできへんやんけ、、って思ってはるので、
もちつもたれつやってます。

とまぁ、そんな感じで、朝からお仏壇に向かってチーーーーーンと高らかに、
手をバンバンと鳴らし、あーやこーやと無理難題を神さんに押しつけてます。


もっと年を重ねて、ますます(!?)いい女になったら、
おせいさんのようにこう言います。


『いささかは 苦労しましたと いいたいが 苦労が聞いたら 怒りよるやろ』

ボチボチと。


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by yucoooo | 2009-06-24 17:45 | story
旋律の想い

3歳からはじめたピアノを止めたのは
小学校の高学年だった 
あまり上手くなく どちらかというと下手だった

小学校の時に通ってたNHKの合唱団で 『We are the World』をアルトで唄った
何かがグッときたけど それは何かはわからなかった

ティーンになると 私は映画をこれでもかと見た
それも古い映画 チャップリンや主に洋画
ルイ・アームストロングの『五つの銅貨』で私の中に隠れていた旋律が弾けだした

高校の時に『たんぽぽの家』ではじめたボランティア活動で
たんぽぽの家主催の『わたぼうしコンサート』でピアノとキーボードを探していたのを
優子さんというボーカルの女性が教えてくれた 私は19歳だった

とはいえ バッハのメヌエットやリチャードクレイダーマンしか弾けない
でもどうしても音楽をやりたいという気持ちが 私に嘘をつかせた

弾けます やらせてください

2週間後の初コンサートに向けて 楽譜が渡される
その中には もっとも人気の高い ピアノソロからはじまる曲も入っていた

楽譜を持つ手が震えた

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優子さんはわかっていたのだ 私が嘘をついていることを
しかし 私を私自身以上に信じてこう言った

スタジオ 夜中でも毎日好きなだけ使っていいから

毎日毎日 何時間も何時間も泊まり込みで練習した
寝ようとしても 弾きたくて弾きたくて眠れない

とうとう 静岡のコンサートの前日
リハーサルでも 私はリードギターとの掛け合いが上手くできない


とうとう本番 

会場が真っ暗になる
私の座るグランドピアノにスポットライトがさっと当たる

美しい旋律で 私はピアノソロを弾き始める
もう私は間違わない 何も考えず ただ一心に弾き始める

曲が終わり 拍手が鳴る 

それから私は本格的に音楽を習いだし ピアノは私の生活になった
人付き合いの苦手な私は 暇を見つけてはピアノと戯れた

チャペルの仕事やコンサートの助っ人もはじめた

そして息子が宿る22歳

私は 自分のJazz Barでお気に入りの音楽の中で シェーカーを振っていた

その頃 優子さんが 癌で亡くなった
あまりに若い死だった 

彼女が私の旋律を奏でさせてくれた最初の人だった

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by YUCOOOO | 2008-09-11 17:25 | story
風景への扉
週刊新潮(2/21号) 中上 紀

『風景への扉』

二年ぶりに訪れた国で、彼と再会した。
湖の傍の町で、彼は観光用ボートの船頭兼ガイドをしながら、日本語を勉強していた。
数日間ガイドを頼むうちに砕けた会話をするようになり、家に招かれて親兄弟に紹介されたりもした。

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突然決めたその国への再訪は、独身最後を記念しての旅でもあって、彼には一度も連絡をしなかったが、何となく、また会えるという確信めいたものがあった。
日本から飛行機で半日かかる首都からさらに国内線に乗り、陸路を数時間走ってようやくたどり着く小さな田舎町だからこそ、そんな風に感じたのかもしれない。
予感は当たった。
到着した日、町を歩いていると、偶然彼の兄が自転車で通りかかった。
君が来ているなんて。弟にすぐ知らせなくっちゃ。
兄はそう言うやいなや立ち漕ぎのスタイルで慌しく去っていった。

用事を済ませて宿に戻ると彼が居た。
照れたようなぎこちない笑顔は前と変わってない。
ボートで湖を回り、自分が新しくはじめた仕事のことや、実家の家族のこと、夫となる人のことなどを話しているうちに時間は過ぎていった。
私が二年前に何気なしにあげた銀色のライターを、彼は使っている。
私はライターのことなどすっかり忘れていたというのに、
私の影響で煙草を吸うようになったなどと言う。
湖に浮かんだ小さな島にある仏教寺院で、彼は長い時間祈っていた。
寺院の傍の土産物屋の売り子は、以前に来たときと同じようにしつこく、
淡いピンクとオレンジの中間のような色に染まった湖面を、魚が静かに跳ねた。
ボートを降り、彼に見送られて宿まで歩きながら、
私にも彼にも流れていた二年間は、本当にあったのだろうかとぼんやり思う。

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着信を知らせる音楽が流れた時、
私は夫と子供達のために夕食の準備をしている最中だった。
濡れた手をタオルで拭い携帯の液晶画面を開くと、カタカナで登録した彼の名前が表示されていたが、すでに電話は切れた後だった。

あれからさらに長い年月が経過していた。
液晶画面の壁紙は、結婚式の写真から、やがてはじめての赤ん坊の写真となり、いつからか幼い姉妹のやんちゃな笑顔になっていたが、携帯の番号だけは、そのままだった。
彼が、留学生として来日し、空港から電話をくれたのは、もうどのぐらい前になるだろう。
数日後、私と彼は東京で会い、案内がてら新宿や高田馬場を歩いたのだ。
その日以来、彼の姿を見てない。

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だが、携帯電話は私たちが生きる個別の日常を、さりげなく繋ぐ。
私が気まぐれに彼の国を訪れたように、
彼も思い立ったように電話をくれる。日本語学校やアルバイトや、最近付き合いだしたという同じ留学生の彼女のことといった、他愛もない普段の生活のことを、彼は語る。
不思議なのは、彼の声を聞きながら脳裏に浮かぶのは、
湖の上でボートに乗ってる彼の姿ばかりだということだ。

ときどき思う。

小さな機械が発する着信音は、ずっとかわらない、いや、
変わらないでほしい風景への扉かもしれないと。

なぜなら、扉の向こうで、手招きをするのは、彼ではない。

彼のいる風景の中で呼吸する、いつかの私なのである。

中上 紀 『風景への扉』 全文


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by yucoooo | 2008-06-10 21:38 | story